『カーライル博物館』は、やはり漱石のロンドン滞在記的な作品で、特に物語というような要素は見当たらず、私小説的な作品である。カーライルという歴史家の旧邸を訪れたときの話が、漱石のあの飄々とした筆致で語られている。カーライル旧邸は今はあるのかどうか分からないが、当時カーライル博物館(記念館)ということで一般に公開されており、同じチェルシーに下宿していた漱石は何度かこの家を訪れていたようである。
これを書いた時、既に漱石は日本に帰国していたから、自分の記憶を元に、回想しつつこれを書いたのだと思われ、そこには多分若干の脚色があっただろうと思われる。そのせいで結構嘘くさい事も書いてある。例えば、案内役の婆さんが「何年何月何日」という解説を勝手に繰り返しているとか、「そんな奴いないだろ」と言いたくなる。表現も気取っているし、言葉遣いも嫌に小難しい。漱石の初期作品は総じてそうであるが、こんな殆ど日記と変わらないものを文学的な表現で書くと、甚だ衒学趣味に見える。これが物語とか人物の思索とかと織り混ざることで軽妙な味を帯びてくるのだが、それはまだ先の事である。
しかし音に敏感だったカーライルが、静けさを求めて四階の部屋で仕事をするようになってからの以下の描写は秀逸だと思う。
なるほど洋琴の音もやみ、犬の声もやみ、鶏の声、鸚鵡の声も案のごとく聞えなくなったが下層にいるときは考だに及ばなかった寺の鐘、汽車の笛さては何とも知れず遠きより来る下界の声が呪のごとく彼を追いかけて旧のごとくに彼の神経を苦しめた。
声。英国においてカーライルを苦しめたる声は独逸においてショペンハウアを苦しめたる声である。ショペンハウア云う。「カントは活力論を著せり、余は反って活力を弔う文を草せんとす。物を打つ音、物を敲く音、物の転がる音は皆活力の濫用にして余はこれがために日々苦痛を受くればなり。音響を聞きて何らの感をも起さざる多数の人我説をきかば笑うべし。されど世に理窟をも感ぜず思想をも感ぜず詩歌をも感ぜず美術をも感ぜざるものあらば、そは正にこの輩なる事を忘るるなかれ。彼らの頭脳の組織は麁にして覚り鈍き事その源因たるは疑うべからず」カーライルとショペンハウアとは実は十九世紀の好一対である。
「呪いのごとく彼を追いかけて」とはまた大げさだが多分実際そんな気持ちだったのだろう。如何にカーライルが神経質で、気難しい人間だったかが伝わってくる。ショーペンハウアーなどは言うに及ばずだが。
ただただ思うのは、何度も繰り返す通り、夏目漱石は大器晩成型の作家であって、芥川龍之介や三島由紀夫のような若さバクハツ型の作家とは違う。筆をとったのも遅ければ名作に辿り着くまでも時間がかかる。このブログが面白くなるまでもまだかなりの時間がかかるだろう。御辛抱願いたい。
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